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カトリック新聞から

サタンと対話はしない

教皇フランシスコ
サタンと対話はしない
 聖書の言葉で身を守る


【バチカン3月10日CNS】
誘惑を受けたときには、悪魔と「対話」したり、議論を試みたりしてはならないと教皇フランシスコは注意を促し、聖書のことばに助けと力を求めるよう呼び掛けた。
 教皇は3月9日、バチカンのサンピエトロ広場に集まった数万人を前にした「昼の祈り」で、当日の福音朗読で読まれたイエスが荒れ野で誘惑を受ける箇所について話した。

 「誘惑する者はイエスを御父の計画から、つまり、罪のあがないのために自らをささげる犠牲と愛の道から遠ざけ、成功と権力への安易な道を選はせようとします」と教皇は語った。
 悪魔がイエスを誘惑する度に、①石をパンに変えるように、②神殿の屋根から飛び降りて天使たちが支えに来るか確かめるように、③地上の権力と引き換えに悪魔を礼拝するように―と促す度に、イエスは聖書からの引用で応じた、と教皇は指摘した。
 イエスは、エデンの園で「エバがしたように、サタンと対話はしません」と教皇は語っ
た。「イエスは、サタンと対話することができないことをよく知っておられます。サタン
はずる賢いからです」 
 「このことを忘れないでください」と教皇は人々に語り掛けた。
「誘惑のとき、私たちが誘惑を受けるときには、サタンと対話してはいけません。そうではなく、いつも神のことばで身を守ってください」
 教皇フランシスコは、四旬節は私たちの誰もが回心の旅路に就き、洗礼の約束の更新に備えるための時だとして、そのためにも、「サタンとその働き、誘惑を退け、神の道を歩みましょう。サタンこそが誘惑者だからです」と呼び掛けた。(以後略)
   ―カトリック新聞4235号より転載―


洗礼式での悪霊の拒否で
「あなたは、悪霊とその働きといざないを退けますか」
と司祭から問われ
「退けます」と答えたのを思い出す

瞬時に「悪霊とその働きといざない」と
判断・識別できるのだろうか?
サタンは巧みに人間を惑わせる
しかし、神とのつながりを大切にしていたら
聖霊によって、気づきを与えられると思う

ん?おかしい・・・と感じたら
サタンとの対話を絶って距離を置き、
主のみことばで身を守るようにとのこと

私たちは相手がサタンとは気づかず
努力が徒労に終わり、疲れ果てたとき
主により頼むなら、気づきを与えられる

その時には躊躇することなく一歩退き
サタンと距離を置き
聖書のみことばから
サタンの誘いより助けられ
誘いに打ち勝つ力を与えられるようにと
祈るように呼びかけておられる

気をつけましょうね
サタンはずる賢い
聖書のみ言葉さえ、
攻撃に使い、誘惑に使う

サタンと対話していると
どんどん心が凍えて、憎しみに染まる

不毛の議論となる

みことばこそが私たちの盾

みことばに親しんでいたい
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カトリック新聞から

正定事件の謎

以前に、中国の正定において
フランス人、ポーランド人、オランダ人他の
宣教師が殺された件で
オランダで列福調査が始まり
それに対して当時の池長大司教様が
東京教区のF神父様にメッセージを託され
オランダでのミサで読まれたことを
カトリック新聞が報道しました

その内容に疑問を感じることが多々あったために
「教会の政治的言動を憂慮する会」の有志が
公開質問書で、
その事実があったと判断された資料の公開を
お願いしておりましたが、公開はされず
仕方なく、有志で調査をしました

そのまとめとなる記事をご覧ください

【資料集】
http://www.yokohama-yamate.jp/ksy/front-seitei.html

【私たちの見解】
http://www.yokohama-yamate.jp/ksy/remarks.html

これは、カトリック内部の話で済む問題ではありません
日本の近代史問題でもあり、
資料によって裏付けされるべき話です

もし、この事実が確認されたならば
日本のカトリックとして
列福のためにもっと積極的に
祈りを呼びかけ、応援すべき話ですが
宙ぶらりんの状態のように感じます

どうなっているのでしょうか?

カトリック新聞から

移住者と不法滞在者

サウジでフィリピン移住者弾圧
http://www.cathoshin.com/2013/07/11/filipino-saudi/
July 11, 2013
【マニラ7月11日UCAN】国際人権擁護団体が7月11日、前週にサウジアラビアの首都リヤドで、不法滞在のフィリピン人労働者たちが「暴力的に連行され」、その後、警察署で電気ショックによる拷問を受けた疑いがあると非難した。
フィリピンの国際人権連絡委員会は、連行にはサウジの警察とフィリピン大使館員が合同で関わったと指摘している。
サウジ政府が不法滞在者は投獄される可能性があると発表したことを受けて、労働者たちはリヤドのフィリピン大使館前で座り込み、フィリピンへの送還手続きを早めるよう求めていた。
フィリピンの移住者人権保護団体「ミグランテ・インターナショナル」によると、7月2日の抗議行動後に、連行された労働者の40人以上が殴打されるか逮捕されたと話しているという。
「(フィリピン人労働者たちは、)明らかにフィリピン国内法の管轄下にあった。フィリピン領内にいたからだ。サウジの法律に反することは一切行っていなかった」と「ミグランテ」責任者のギャリー・マルティネスさんは訴えた。また、連行に関わったフィリピン大使館員も召還し、取り調べるべきだと付け加えた。
滞在継続のための有効な査証を持たないフィリピン人労働者たちは、サウジ政府がことし前半に不法滞在者の弾圧を始めたことを受けて、リヤドのフィリピン大使館とジッダのフィリピン領事館前でテントを張り、抗議のキャンプをしていた。


この記事の内容と、
カトリック新聞の記事のタイトルは
すごく乖離していませんか?

この内容をまとめると

サウジにはフィリピンの不法滞在者が多くいて
サウジ政府の取り締まりを強化し厳罰にするとの報に
慌ててフィリピン大使館や領事館に駆けつけ
大使館や領事館の前でテントを張って
抗議の姿勢をあらわし、送還を待っていた

その中で、厳しい取り締まりを受け
逮捕され拷問まで受けた

それに大使館職員も協力していたのは
問題だと抗議している

ということだと思います


そのタイトルが
「サウジでフィリピン移住者弾圧」?

それをいうならば
「サウジでフィリピン不法滞在者を弾圧」では?

サウジも不法滞在者に拷問さえ加えなければ
正当な行為だったはず

大体、不法滞在者を「移住者」と
呼ぶことが間違っているのでは?

「移住者」とは正規の手続きを経て
移住してきた人々を指すのであって
不法滞在者に使うべきではないと思います

正規の移住者に、
正当な権利は保護されるべきですが
不法滞在者には、暴力的ではない環境のもとで
早期に帰国していただくしかないと思います

サウジも日本と同じく法治国家で
法に則って帰国を求めるのは
責められるべきではありません

法の行使は暴力とは異なります

カトリック新聞のタイトルだと
まるで不法行為を助長しているようで
これは、カトリック信者として恥ずかしいことです

それに、記事の内容でも
不思議な言い分を書かれていますね

大使館や領事館の前の土地に
テントを張っている不法滞在の群衆がいますが
あそこが大使館や領事館の敷地内ならば
治外法権でしょうが
敷地外にしか見えませんし、
また、彼らは外交官ではないので
治外法権は認められません

公館前の土地を不法占拠している状態とも言えます

これは、一刻も早くフィリピン政府が
送還のための船なり飛行機を準備することが
求められているのであって
その間、不法滞在者には騒ぎを起こさないように求め、
サウジ政府に送還のための猶予期間を設けてほしいと
交渉することを求めるということに尽きると思うのですが
そういう締めくくりの言葉もなく・・・

結局、何を伝えたかったんでしょう???

カトリック新聞から

キリストの体を傷つける

「改憲」で講演会
日本キリスト教連合会

日本キリスト教連合会(日キ連)は6月20日、東京・港区の聖アンデレ教会(日本聖公会)で、改憲の問題をテーマに定例講演会を開いた。約40人が参加し、カトリックの松浦悟郎補佐司教(大阪教区)が「『今、選択の時』~改憲の危機にあって~」と題して話をした。

松浦司教は、今の憲法が国民を縛るものではなく、逆に国を縛るものだと繰り返し語り、「憲法を最も守るべき立場」の首相が自ら改憲を唱えていることに疑問を呈した。

続いて憲法9条が世界的にも注目されていることについて事例を挙げて説明。また1947年に当時の文部省が中学生用に発行した『あたらしい憲法のはなし』の復刻版を「分かりやすくて素晴らしい本」と紹介し、参加者に一読を勧めていた。

質疑応答では、教会の中で違う考えの人たちとどう議論していくか、市民団体や諸宗教者などの非キリスト者ネットワークとの協力の在り方はどうあるべきか、などについて、意見が出されていた。

日キ連はカトリック中央協議会、日本聖公会、プロテスタント諸教団の協力で運営されている団体。


http://www.cathoshin.com/2013/06/26/nikkiren/

この記事を読んで疑問に感じたのは

>「教会の中で違う考えの人たちとどう議論していくか」

政治の話をどうして教会でしなければならないのか?
思想信条は必ずしも一致しなくても
キリストにおいて一致するために教会に来ているのに
そこで、政治の話ですか?
憲法の話ですか?
「憲法9条は世界の宝」というのは
カトリックの信仰箇条ですか?
違いますよね

宝と思う人もいれば
有害・不快と思う人がいても不思議ではないし、
自由なのです
要は、平和をどのように求めるかということで
その手段においては各自の判断

教会は一致の場なのに
そこを議論の場に変えても
憲法9条を死守したいというのは
キリスト体を傷つけることのように感じます


上記の記事はカトリック新聞6月30日号
2面の片隅に載せられていましたが
1面にはフランシスコ教皇様の
6月19日水曜日一般謁見の説教が掲載されていて
「信者同士の分裂、争いが
キリストの体を傷つける」
と題して紹介されています

教会は平和を求める心を醸成する場であっても
1つの求め方を押し付ける場ではないはずです

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0031.htm

「教会は援助団体でも文化団体でも政治団体でもありません。むしろそれは、歴史の中を歩み、活動する、生きたからだです。このからだにはイエスという頭があります。イエスがこのからだを導き、養い、支えるのです。わたしが強調したい点はこれです。頭をからだの他の部分から切り離すなら、人格全体は生きていけません。教会の場合もそれと同じです。わたしたちはますます強くイエスと結ばれ続けなければなりません。」

「聖パウロはいいます。人間のからだの部分は、たとえ異なり、数は多くても、一つのからだを形づくります。それと同じように、わたしたちは皆、一つの霊によって、一つのからだとなるために洗礼を受けます(一コリント12・12-13参照)。それゆえ教会にも多様性があります。異なる任務と職務があります。そこには、画一的な平板さではなく、聖霊が与えるたまものの豊かさが存在します。けれども、そこには交わりと一致が存在します。すべての人は互いにかかわり合い、キリストと深く結ばれながら、皆が協力して生きた一つのからだを形づくります。」
(一部を抜粋)

カトリック教会が排斥してきた共産主義
日本共産党は、神を認める共産主義国家を
目指すそうですが、成功例がありません
無神論とは別だと主張することで
カトリック教会も取り込みやすくなったのでしょう

機関誌「あかはた」にはカトリック高位聖職者の記事が
よく登場します

無抵抗・非武装を説く社民党支持者や
中核派系市民団体の活動を支持することも多いです

日本のカトリック教会は、左に舵を取り
宣教対象は社会主義・共産主義者限定ということでしょうか?

つい先日も、保守的な考え方を持つ方が
洗礼を望みつつも、現状に失望して
教会を離れることにしたと耳にしました

私の友人も求道者として
勉強会に数年にわたり参加しながらも
政治的考え方を押し付けてくる信徒の影響で
洗礼を受ける決意ができずにいます

こういうことこそ
「キリストの体を傷つける」
と思います

神が呼ばれた人を
キリスト者が聖職者が追い返しています

カトリック新聞から

(続) オランダ宣教師の死について

先日のカトリック新聞オンライン記事はショッキングでしたが
それよりもショッキングな記事を知りました

わが教区長様のお話が2月21日読売新聞夕刊に
下記の記事で紹介されています

http://lisacerise.exblog.jp/17873742/

「日本のカトリック 目指すものは」
「社会の悲惨に向き合う」
池長 潤・大阪大司教に聞く


ローマ法王(教皇)ベネディクト16世の突然の退位表明で注目を集めるカトリックは、世界で11億人を超える信徒を擁する巨大宗教。ただ、日本では禁教時代が長く続いたこともあり、解禁から140年たった今も、信徒は約44万人にとどまる。日本のカトリックは何を目指すのか。日本司教協議会(司教団)のトップでもある池長潤・大阪大司教(75)に聞いた。(石塚直人)

------(中略)------

 大阪大司教区(大阪、兵庫、和歌山)は、社会問題とのかかわりが特に深い。外国人労働者や野宿者、障害者、在日韓国・朝鮮人などの人権を守るグループがいくつも組織され、プロテスタントとの共同も広がった。
 日本のカトリックは戦前から戦中にかけ、「天皇は神」とする国家体制を受け入れて生き延びた。80年代から自己批判の動きが強まり、95年に司教団が謝罪のメッセージを発表した。
 それだけに、「従軍慰安婦」の見直しなどの動きには危機感を隠さない。昨夏、37年に中国で日本軍のため殉教したシェラーベン司教の記念式典に招待する手紙が司教の母国オランダから寄せられると、軍の蛮行を謝罪し故人をたたえる返書を送った。手紙によると、司教は、女子修道院に逃げ込んだ中国人女性の中から200人を慰安婦として差し出すよう求められたのを拒み、焼き殺されたという。
 「たとえ不名誉なことでも事実は率直に認める。南京虐殺も従軍慰安婦も多くの体験者、目撃者がおり、あったこと自体は否定できません。それを認めるのは自虐などではなく、人間としての資格にかかわる問題です。他者の人格を徹底して大切にすることが、キリストの教えの核心にあるからです」


【転載終了】

ご招待を受けたからと言って
日本側の資料を探して
事実関係を検証されることなく
謝罪をするということが信じられません

これでは、言ったもの勝ちで
言われ放題です

歴史とは、日本では学問ですが
中国は政治、韓国では願望と言われます

オランダの司教協議会は
それほどまでに殉教者が必要なのでしょうか?

当時の新聞の記事では
宣教師方の死は
中国現地人の山賊に襲われたもので
「災難」の範疇です

かたや、上記の記事の通りならば
「身代わりの死」ということになり
「隣人愛による死」となり殉教になります

宣教地で亡くなられた宣教師方には
当然のことながら敬意を払いますが
災難の死ではいけないのでしょうか?

200人の女性を慰安婦として差し出せと要求するなんて
有り得ない人数です

進軍していった先で
200人の慰安婦をどのように収容するのですか?

言われたままを信じるのが
「人間としての資格」なのでしょうか?

事実を究明しようとするのは
人間としての資格がないと仰るのでしょうか?

「他者の人格を徹底して大切にすること」とは
偽りを主張する人に対して
偽りには目をつむることでしょうか?
偽りはいけないと諭すことではないでしょうか?

「嘘はついてもいいよ」と言うのが
他者の人格を大切にすることなのでしょうか?

既に亡くなった方は反論できません
亡くなった方の名誉は
いくら汚してもいいのでしょうか?

遺族の心を傷つけていいのでしょうか?

当事者が亡くなった頃に
このような捏造が行われるのは
不正義だと思います

検証もせず、真偽に関係なく
「キリストの教え」から受け入れるようにと
日本司教協議会は信者に求められるのでしょうか?
司教協議会会長お一人の見解なのでしょうか?

何にしても、わが大阪教区長様のお言葉に
憤り、悲しみ、嘆きを通り越して
放心状態です


引用元は一般の方のブログですが
一般紙に掲載されたのですから
大きな躓きであることは確かです

如何にこの方が感じられたかを
是非、ご覧になっていただきたいと思います

http://lisacerise.exblog.jp/17873742/

プロフィール

maggie tonton

Author:maggie tonton
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