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社会と福音

信教の自由を考える

ある自衛官が、職務中の交通事故で殉職した
その自衛官は、無宗教であった

妻は日本キリスト教団の信徒(妻のみ)

夫の両親や兄弟は
殉職した自衛官が護国神社で祀られることを
大いに歓迎した

しかし、妻は、当時の牧師の指導により
強硬に反対し、裁判にまで持ち込んだ

長い裁判の末、最高裁で、妻の主張は退けられた


普通は、これで「THE  END」のはず


だが、この未亡人は、毎年毎年、5月になると
左翼活動家多数を引き連れ
山口の護国神社の社務所に押し掛ける



今回、この情報を入手し、あまりに非道な行いに憤りを感じた


① 亡くなった人を偲んだり、褒め称えたりするのは
遺族しかも配偶者だけのものなのか?


他の遺族は、合祀をご師歓迎しているのに
配偶者だけの意見で、他の遺族の願いは踏みにじられるのか?

故人と関わりを持つ人全てが、
それぞれに故人との思い出を共有するものではないのか?

故人との関わりを持たなかった人にとっても
何かの縁で、故人を知り、祈ることは自由ではないのか?


② 護国神社や自衛隊側による
未亡人の信教の自由への侵害なのか?


信教の自由は、明らかに公共に害を与えない限りにおいて
それぞれが自分の信じる宗教を持つことが出来ることをいう

だから、他の宗教を強要されてはならない

では、今回の件は、
護国神社や自衛隊が
未亡人に、
護国神社参拝を強要したのか?
否である


ということは、信教の自由は侵害されていない

あえていうならば、
他の遺族や自衛隊で寝食を共にした友人方の信教の自由を
侵害しているのは、未亡人の方だ

未亡人による
信教の自由の侵害なのだ


この方々は、護国神社で感謝をし、
慰霊をしたいと願っているのだから
それを、するなという権利は、未亡人にはないのだ


③ これを政治問題に利用する人たち

何も、職務中の殉職を戦争と結び付けることはない

特にキリスト教は、犠牲的精神を除くことはできない

まぁ、プロテスタントに教義を歪めても、ひっつこうとする
最近の教義曲解派は、「犠牲」という言葉はお嫌いだが

護国神社には、殉職した警察官、消防官も合祀されている




この上記3つのことに憤りを覚え
山口県の護国神社へ毎年、抗議団体が駆け付ける日に
私たちも各市民団体が集い、迎え撃つことにした

この非道な行いを中止させんがため
抗議団体への反対活動も予告していた

が、反対に、この抗議活動への参加を呼び掛けていた

こうなっては、実際に対峙しなくてはならない



あるグループは、前晩から車に乗り合わせて出発し
私たちは早朝に集合し、出発
またある人は個人で新幹線に乗り
10時の集合時間には50余名が集った

私とおつるさんは、カトリック信徒として
また博多からは、プロテスタントの信徒が参加した



グループ分けをして、各出入り口をガードするが
私たちの反抗議活動を視野に
多くの参加者を募っていたはずなのに現れない

11時に毎年、社務所を取り囲んで暴言を吐いていたというのに

前方の道路分離帯植え込み付近から、状況把握の偵察隊や
こちら側に、潜り込んできた青年は、間もなく発見されたが
本隊が、来ない

こちらから付近を見回りに行っても、集まってもいない

口ほどにもなく、中止にしたようだ



12時半頃、参加者は、護国神社に詣でた

神官が読み上げる祭詞を聞き、胸詰まるものがあった

「20年ぶりにこの日を静寂のうちに迎え・・・」

儀式後の神官の謝礼の言葉にも・・・・



キリスト教の名のもとに左翼団体と一緒になって
お一人しかいらっしゃらない社務所を取り囲み
怒号が渦巻き、
未亡人かその友人かの女性から
直接、罵声も浴びせられたそうだ

こんな非道がどうして許されようか・・・

宗教施設、特に山口の護国神社は
管理の行き届いた静寂な神聖な雰囲気が
充満した神社だった

「参拝者以外の立ち入りを禁ず」
の札を出入り口に掲げれば
不法侵入罪で告訴もできるが
神社は、宗教者として敢えてそういうことはせず
訪問したい人全てに開かれていた


その静寂を打ち破るがごとく
抗議活動を展開し、怒号がうずまくとは・・・

多数の人間が取り囲み、無抵抗の神官を脅す・・・

全くもってゆるされないこと

これは、無神論者の行いであって
宗教者のすべきことではない



カトリックでは諸宗教対話を呼び掛けているが
一部正平協シンパ司教は、神社神道を除外している

日本において、
伝統文化や精神性と切り離すことのできない神道を
目の敵にしては宣教などできない

それどころか、私たちの信教の自由さえ
危うくするのだ


他者から、祈りに口出しされたくない
心の中に、土足で踏み入られたくない

ある高位聖職者は
憲法20条の会を組織し
信教の自由が憲法20条があるから
信教の自由が守られたと言う

だが、憲法も古くなり
拡大解釈ばかりが常用となると
そんな条文は意味が無くなり
拡大解釈によって、何が起きても不思議でなくなる

私は思う
日本人としての精神性において
受け継がれた常識・良識があるから
信教の自由は守られているのだ


卑怯千万な手段でもって、
非道な行いをし
他者の信教の自由を侵害するなら
同じ扱いを受けても、
文句は言えなくなる


宗教者なら、信仰者なら
誰よりも人の心を大切にしてほしい

左翼活動家と連携をする必要など皆無だ
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