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フランシスカン

妖怪の修道会

各修道会は、優れた創立者によって創られ

またその修道会員から、新たな修道会も生まれる

こうした場合、女子修道会では
創立に関わった司祭の修道会の庇護を受ける

それは、霊性などの指導の点で必要となるからだ

聖マキシリアノ・マリア・コルベは、
コンヴェンツアル聖フランシスコ修道会司祭だった
彼は、アシジの聖フランシスコの精神で
現代社会を生き抜き、証しをした聖人だ

その聖人を慕う同修道会司祭が創立に関わったのが

けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会

名前を見て分かるように、フランシスコ会律修第三会として
フランシスカン霊性に生きる会であり、

そして、聖コルベの創立した

「けがれなき聖母の騎士会」(信心会)

の、精神で生きる会だ

フランシスカン霊性の上に、花咲かせたのが
けがれなき聖母の騎士会の信心ということ

さて、聖コルベは、悪の陣営との闘いのために
この「無原罪の聖母」の信心によって力を得て
御手の道具となって闘うことを決心して創立された

修道者といっても、人間
人間的弱さもある

そこから脱線してしまうこともある

だが、霊的生活を大切にしているなら
それは、また導かれる


そう信じている私にとって
なんとも信じられない記事を友人から送ってもらった



【『愛』誌 2006年 190号】より

読者の声にこたえて
   靖国神社参拝の問題を考える
 

 政治問題をとり扱うことに反対の声もありますが、私たちは政治の中で生きています。私たちはこの社会に対して責任があります。基本的人権、人間の尊厳が守られている政治であるかどうか、真剣に考えねばならないと思います。前回は憲法九条について考えてみましたが、今回は「私は、政治家たちの靖国神社参拝は大賛成です。どうして反対するのですか」という読者の声に対し、靖国問題について考えてみたいと思います。

 戦前の日本

 長い間の鎖国をやめて新しい時代を迎えた日本の明治政府は、近代国家として、政治・外交・軍事すべてを天皇が支配する天皇中心の絶対主義国家をつくることにしました。そのために日本を神道国家とし、「日本は神の国てあり、天照大神の子孫である天皇がこの国を統治する。すべての民は神である天皇を拝み、忠誠を誓い、新しい神国日本をつくるために励まねばならない」と教え、全国民に、愛国心、忠誠心を表わすために神社参拝を義務づけました。そして武力を強め、神国日本は絶対に負けることはないと信じ、日本を中心とした新しい世界づくりをめざして次々と戦争をひきおこしていきました。これらの戦争で「お国のため」「天皇陛下のため」といって多くの生命が失われ、なかには相手に欠陥を見抜かれたゼロ戦をつかって、行きだけの燃料で敵艦に体当りして死ぬことを命じられた二千四百人以上の特攻隊員もいます。日本がひきおこしたアジア・太平洋戦争で生命をなくした人は、みんなで二千万人もいるといわれます。

 戦後の政教分離

 このように天皇崇拝、国家神道が、軍国主義となって戦争にまい進していったことを反省し、戦後は憲法二十条によって、信教の自由が認められ、③で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」と、国家が特定の宗教と結びつくことを厳しく禁じる政教分離の原則が、明確にうちだされました。また八十九条では、宗教活動への公金の支出が禁じられています。
 こうしてかつて国家神道の神社であった靖国神社は、完全に国家から分離されて宗教法人に渡されました。そこに首相・大臣などが公の立場で参拝することは認められないのです。
2004年4月、福岡地方裁判所は、小泉首相の靖国神社参拝は違憲とする判決を下しました。にもかかわらず、首相は参拝を続けています。「戦争の犠牲者を祀る靖国神社に参拝するの
は当然だ。戦争で生命をおとされた尊い犠牲の上に今日の日本があるのだから」と。もちろん、祖国のために戦場で散った人々の死を悼み、世界平和のために祈ることは当然でしょう。だから個人としては神社で祈っても、教会で祈っても、お寺で祈っても全く自由です。首相として公的に参拝するのが問題なのです。

 近隣諸国の思い

日本は朝鮮に、満州に、そして全中へ勢力をのばそうとして次々に戦いをおこし、勝利をおさめてきました。朝鮮に対しては日本と併合させ、35年間も日本の領土としていました。中国には第一次世界大戦の最中に兵をおくり、中国の独立をふみにじるような21カ条の要求をつきつけて、むりやり認めさせたりしました。それは1915年5月9日のことで、中国では5月9日を「国恥記念日」(国がはずかしめを受けた日)としたほどです。満州では中国軍に戦いをしかけてどんどん攻撃し、ついに日本の思いどおりになる満州国をつくってしまいました。その後も国際連盟の意見もうけ入れず、満州から中国本土にまで勢いをのばし、激しい戦いをくりひろげていきました。日本車は、虐待、虐殺、機関銃掃射など残酷極まりないやり方で勝ちすすんだのでした。また少女まで強姦したり、強制的に慰安婦を組織したりしています。
 これらの戦争を、政府は侵略戦争であったと認めています。
靖国神社には二百五十万余の戦役者の霊が祀られていますが、これらの戦いを指導し、東京裁判でA級戦犯とされた人々も、英雄として祀られています。そこに参拝することは、この侵略戦争を肯定することになりませんか。侵略され、虐待されたアジア諸国の人たちにとっては、許しがたいことでしょう。ヒットラーを拝むのをみるユダヤ人の心、北朝鮮のキム・ジョンイルを拝むのをみる拉致された家族の心と同じようなものです。首相は過去の歴史を反省し、まわりの国々のことも考えるべきだと思います。

 おびやかされる政教分離

 新憲法草案では、九条だけでなく、二十条の③もかえられようとしています。今の憲法では、国のいかなる宗教活動も禁じているのに、それが「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない」と長い文をつかってうまく緩和されています。つまり国は社会的儀礼又は習俗的行為の範囲なら宗教活動が可能だというのです。”儀礼“として戦前のように神社参拝が強制されそうです。また靖国神社について「国がきちんとやるべきまつりごとを一宗教法人に渡していたのが問題。政府が維持・管理に関与すべきだ」とはっきり言う大臣もいます。まさに戦前の日本にもどりそうな恐ろしさを感じます。
 歴史の反省から生まれた日本のすばらしい憲法、主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重、信教の自由、政教分離をうたったこの平和憲法を大切にしていきたいものです。  (編集部)



「政治の中で生きている」といって
修道者に政治活動が求められるのか?

修道者の影響力をどう思っているのか?

それにふさわしい、歴史・政治認識を持っているのか?

上記の記事を読む限りにおいて
このシスター方は、共産党や社民党の
主張する歴史観からの発想だ

いろんな歴史観があるのだろうが
これだけは言える

天皇陛下は、
領土拡大や戦争を望まれたことはなかった


政治家も、ロシアなどの大国の脅威から
国を護るために、必死だった

その歴史を、このようにしか受け止められない
影響力のある修道者・・・

この変節を創立者のミロハナ神父はどう思うだろうか

このミロハナ神父こそは
もっとも、共産主義を嫌った司祭

聖コルベは大変な愛国者だった

修道者になるか軍人になるか
誓願式の直前まで、迷っていたほどだった

カトリックの信仰において
よほどの酷い国でない限りは
「善きカトリック信者は、善き国民たれ」なのだ

この編集部の文章のどこに、愛国精神があるのか

微塵もない

日本という国の歴史を歪め、貶めている



反日修道会に堕ちてしまった


信教の自由においても
戦争中の憲兵などによる統制を
宗教迫害にあげるが
実質的には、宣教師方への外国人としての警戒だった

それが証拠に、朝鮮半島では
この戦争の間にも、教会は発展している


私が近くに接していた当時のこの修道会は
ミロハナ神父の指導もあって、反共であった

この修道会の経営する心身障害者施設には
美智子妃殿下(現皇后陛下)や皇族方が
ご訪問され、光栄を浴していた

ミロハナ神父亡き後、迷走・・・・

友人の言によると、さながら
正平協・小長井支部
と、化してしまった

正平協の研修会に参加した
シスターOの感想が、カトリック新聞に載ったときも
聖書解釈が誤っているのは気になっていたが・・・

ここまでとは・・・

神学博士の司祭方を差し置いて
「マリア学神学博士」と記載するのも
謙遜さをモットーとするフランシスカン精神とは
似て非なるものだったが・・・


この修道会は、高齢化著しく
韓国に支部修道院を開設した

だから、韓国の戦争資料館の記述を
そのまま受け入れたのか?

もう、この修道会には祝福は望まれないのか???

最近、長崎教区大司教が騎士会小長井支部に
入会されたと誇らしげだ

不思議でしょ?
本来なら、聖コルベによって祝福された地にある
本河内の国内本部で入会されるだろう

どうして、小長井支部?

その答えは・・・・

この前、伊藤博文を暗殺した安重根を顕彰する旅行に
巡礼団という名をつけ
団体を率いて、わざわざお越しだった大司教だ・か・ら


こんな悪の陣営に加担するような
修道会は、呪われた修道会としか言えない


もし、私と思いを同じくする方は
友人知人に
『愛』誌に
聖母の騎士修道女会に
聖母の騎士会小長井支部に
寄付をするのは
悪魔に献金するようなもの
 と
知らせていただきたい

現在、聖母の騎士会の会報には
この、シスターOの記事が掲載されている

悪魔の手は、騎士会本体にも及ぼうとしているのか???

国内総補佐司祭が山口神父となって
迷走は始まった???

コメント

愛国者の本当の意味は・・・?

こんばんは。私は、maggieさんのお部屋でいろいろな事を学ばせていただいています。

日本の戦争責任等に関しても、図書館で本を借り漁って勉強しています。結局、私達は「洗脳」されているという恐ろしい現実に、怒り・悲しみ等複雑な心境です。共産主義がどのような結末を迎えるか、東欧諸国を見れば一目瞭然だと思うのですが・・・。昔、ご年配のある神父様が「この世に、〈本当の意味での〉共産主義はないよ。あるとしたら、修道会だけだね」と仰ったことがありました。最近、友人等(未信者が多いです)に話をすると皆仰天します。そして、「国民は洗脳されてるわけ!?もっと教えて、何読めばいいの?!」という反応です。ただ、教員やその配偶者の友人には言えませんが・・。

その修道会さえ、とんでもない事態になっている所があるとは、悲しいことですね。ミロハナ神父様、お借りしたゼノさんの本でお見受けしたことがあります。ゼノさんがお元気な時、療養されてから、ご一緒に写っているお写真の、お若いのに慈父のごとき眼差しが焼き付いています。

ポーランドという、ご自分の母国の愛国者であり、従順を貫き、この日本に骨を埋めてくださったゼノさんが、大好きです。

まさに妖怪の修道会

大阪補佐司教、うちの司教、OFMのFr.ヨブ戸田の思想の受け売りですね。

シスターたちの「従順の誓願」ほどおそろしいものはないですね。

・正平協幹部で理念、活動計画、運動方針を決める。
・修道会に下ろす。
・従順の誓いのもと、簡単に強力な実動部隊となってくれる。

その姿を見て、単純で、これまたおとなしく、司教様命!のご婦人がたが協力する。

共産党も社民党も、カトリック教会のヒエラルキーを利用すれば、これほど簡単に同志を集められるとは、40年前には想像すらしなかったでしょうね。

無視して淡々と典礼や小教区内の雑事に追われるか、正々堂々と抗議するか…。

共産党社民党の歴史観を、福音的なものの見方とし、
彼らの政治運動をカトリック教会の福音的な活動としようとすることが、
許しがたいですね。

フランシスコ会系は危ないですか?
神戸の灘区のシスター方も危ないですか?

No title

「愛」誌を10年購読している地元諫早市民の私がまいりました。
諫早市内でも聖母の騎士(みさかえの園)のシスターはよく見ます。

拙ブログでも書かせていただきましたが、コルベ神父さんとその仲間、弟子の皆さんはわが日本国を愛して下さいました。

なのにみさかえの園のこの現実は何ですか?ガッカリしました。

お隣の祐徳稲荷さんはどんな気持ちでみさかえの園をご覧になっているのか?

嘆かわしいこと

v-254ベネディクタさん

ミロハナ神父様をはじめ、特にポーランド人修道司祭やブラザーは、
共産主義者を忌み嫌っておられました。

ミロハナ神父様がご存命の頃、黙想会で、

「みさかえの園にもう少しで労働組合が出来るところだった。
そうならないように一生懸命お祈りをして、マリア様のお恵みで、
労働組合は出来ずにすみました」

と、話されていたのを思い出します。

頑固だと言われても、ご自身が創立に関わったマリア様の園に
少しでも、赤い勢力が入るのを嫌っておられたんです。

そのご遺志を受け継ぐはずが・・・
シスター中山は、心の目まで見えなくなったのでしょうか?

周りから、ちやほやされて、慢心と心のゆるんだ隙に、
入りこまれたのでしょうか???


v-254サボテンさん

灘のフランシスカン・シスターズは、高齢化著しくとも
心は天を仰ぎ、地に足を付けておられると思います。

有志の信徒と聖体礼拝も始めておられるそうですよ。

学校教育に携わる方々は、その影響をもろに受けますから
賢明に、用心深くなさっておられると思います。

近くに、茶色のフランシスカンがいないのが幸いです。

茶色のフランシスカンの影響を受けると、赤くなりますから。


v-254のんのこさん

小長井シスターズは、霊性を疎かにして来たんですよ。

事業は表面的に良くても、その基盤の霊性を疎かにすると・・・
私の予想した通りでした。

ミロハナ師亡き後、修道者としての霊性において、
指導いただける司祭を、謙遜に、コンベンツアル会に求めず
ポーランド人教区司祭を招聘しても
基盤となる霊性において、
教区司祭と修道者の差は埋められないでしょうね。

私の友人は、この『愛』誌ゆえに、苦しみ、
小長井支部を退会したい、国内本部に移籍したいと
望むようになりました。
しかし、残念なことに、そのような規約はないために果たせず、
『愛』社への寄付はやめました。

宗教は異なっていても、目に余ることについては
地元民として、抗議をなさっていただければと思います。

シスターは都合の悪いことになると
一方的にすぐに電話を切ってしまうという不作法も平気なようです。

現在、あの修道会付き司祭は、末吉矢作神父ですので、
そちら宛てに、抗議の手紙を書かれればいいと思います。

そうすれば、すぐに、中山会長に伝わります。

No title

Ordo Fratrum Minorum の神父さん何人かこの近くにもいますね。 10月 04日は St Francis の feast の日で、このあたりでは教会にネコとか犬を連れてきて Blessing をもらう列ができます。 もともと家畜のBlessing だったそうですが、このあたりでは 動物一般(ペットも含む)になっています。 Ordo Fratrum Minorum の神父さんでなくとも Blessing はもらえますが、一番人気があるのは やはり 茶色い色のローブで、フッドのついている OFM の神父さんですね。 St Francis は Seraphic Father と呼ばれていて、Satan の 落ちる前の以前の位 seraphim の位置を St. Francis は今は位置していると聞いたことがあります。 

岡はキ▼ガイでしかない。異常な集団。

「愛誌」2013年 218号の岡の文章は「聖コルベのマリア論には限界がある」という内容が書いてある。最早アホでしかない。岡の論文を日本語にて出版しないのは、聖コルベをこき下ろす内容だからだと思われる。聖コルベの精神などは最初からなく、ミロハナさんの無茶苦茶な無教育の人間を作ってきた結果でしかない。さっさと解散願いたい

日本太郎さんへ

元来、けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会における霊的支柱といえる聖コルベのマリア信心を、そのようにしか捉えられていないとするならば、研究不足・未熟ということであり、修道生活の意味を失います。

以前から、彼女のマリア論はフェミニズム神学に毒されているように感じると、騎士会会員から漏れていました。

故ミロハナ師がご健在なら、烈火の如くお怒りになられたことと思います。

聖フランシスコや聖コルベの聖母信心から外れたご研究なら、修道者という立場から離れてなさるべき話です。

その他にも、最近の愛誌への嘆きをよく聞きます。
「愛」という名をつけながら、不安を与えるものなら、廃刊した方がいいでしょうね。
聖母の謙遜の徳を生きようとしない修道女は有り得ません。

岡の文章

『愛』誌 連載の岡の文章は日本語になっておらず、書き言葉と話し言葉が混乱しており、且つ、初めは否定しながら、「しかし」と手のひらを返して、先の否定を否定するかのように肯定に言うのかと思うと・・また、違う。帰国子女らしいけど、日本人?って思う。

岡が博士号を取れたのは、イタリア人教授が「アジアにマリア論で博士号を持っている人間がいないので・・」というのが根底にあったらしいし、且つ、日本人女性は海外では若く見えるのでイタリア人教授には可愛い存在だったからだと彼女がイタリアに居滞在していた頃に他の大学で学んでいた方から聞きました。

ポーランド人司祭は、「コルベ神父様のマリア論に限界がある(と岡は断言して書いている)のではなく、Sr岡のマリア論に限界があるのです」とおっしゃってました(笑)

会長は、岡の文章を読んでも反論できないみたいで・・・矛盾の権化と化しているセクトです。

カトリック信者が聖職者を罵倒

カトリック信者らしき人が、神に自らを捧げた、崇敬すべき聖職者、修道者を、このように口汚く罵倒するとは、驚きです。
昨今時折見られる、カルト集団グループなのでしょう。いつの時代も異端者はでるもの、その内に自然消滅していくでしょう。弟子たちが、キリストを名乗るものがおります、と申しますと、イエズスさまは
、仰有っられます。放っておきなさい・・・と聖書に書いてあります。

Yoshiaki Suzuki さんへ

生涯を捧げた聖職者・修道者ほど悪魔は誘惑しようとし、その誘惑に負ける方々が少なくないことを信者なら知っています。

その方々のことを細かく取り上げることはしませんが、影響力のある方々については、別です。

隣人が道を踏み外そうとしているならば、それを未然に防ごうとするのも隣人愛。

全ては神様だけがご存知で裁かれます。

聖職者の実体

一部の神父を除いて、聖書の勉強ができていない神父が多い。聖書理解が不足してるから、説教も神様の言葉でなく自分の言葉でしか話せないのだろう。
シスターに至っては、本当に勉強ができていない。
信徒を指導する立場にある人には、聖書をもっと勉強してもらいたい。

訂正をお願いたします

こんにちは。

「けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会
名前を見て分かるように、フランシスコ会律修第三会として
フランシスカン霊性に生きる会であり・・」
と書かれていますが、男子修道会が「第一会」女子修道会が「第二会」世俗会が「第三会」ですので、けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会が第三会というのは間違いです。訂正をお願いたします。

マチルダさんへ

こんにちは。
第二会はクララ会(観想修道会)を指します。
第三会には、在俗の司祭や信徒の他、律修フランシスコ第三会として多くの修道会が存在します。
http://francisco-chiara.blogspot.jp/p/ofs.html(参照してください)
ちなみに聖フランシスコ病院修道女会なども律修第三会です。
http://www.hsosf.or.jp/mission_statement/mission_statement.html

聖母の騎士修道女会は、コンベンツアル聖フランシスコ会のミエチスラオ・ミロハナ神父によって創立された活動修道会で、律修第三会にあたります。

ようやく腑に落ちました

現代日本でマリア学の権威のように遇されているシスターの意見に対して、個人的にはずっと違和感を覚えずにはいられなかったのですが、ここの記事や投稿を読んで、ようやく腑に落ちました。事情が飲み込めました。

聖母に言及することを意図的に避けている?

マリア学の権威のように見なされているシスターは某カトリック誌に連載を持たれていますが、タイトルに「マリア」を含んでいるにもかかわらず、その内容はというと、意図的とも思えるくらいに伝統的な聖母崇敬に言及することを避けているように感じられるものとなっています。聖母に言及しないマリア学の権威の連載って、いったいなんなのでしょうか?
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