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2010年 平和旬間メッセージを読んで ③

ヨハネ・パウロ2世の

「過去を振り返ることは
将来に対する責任をになうことです」


のお言葉はどのように心に響いているのか

>昨年、米国のオバマ大統領はプラハ宣言で
核兵器のない世界の実現を訴えました。


過去どころか、現在進行形で
核実験のための被爆症により、重大な状態にある
しかも、放射能汚染さえ知らず
手当も受けられない人々のことを
忘れてはならないと思う

中国は、新疆ウイグル地区(東トルキスタン)の楼蘭付近で、1964-1996年に46回、総出力20メガトンの核実験を行い、周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染とがもたらされています。しかし中国政府はその実験事実さえ公開していません。居住区で実施された核実験としては世界最大の爆発威力で、149万人以上が死傷したと推定されています。
[中略]
  世界で最初に核被災した日本は、“唯一の被爆国”ではありません。中央アジア・シルクロードの地は、広島・長崎以上の大核災害を受けたまま、21世紀の今もなお放置されています。


日本シルクロード科学倶楽部HPより
http://www15.ocn.ne.jp/~jungata/SilkRoadJpScCb1Jp.html

核兵器を開発してきた国々は、必ずどこかで実験をし
その度に、その周辺地域の住民に深刻な放射能汚染をもたらした

最低限、実験場の近辺には立ち入らないようにはした

だが、それさえしなかった国がある

少数民族保護のため、一人っ子政策除外など
聞こえの良いことを宣撫している陰で
遊牧民が暮らし、羊を放牧している まっただ中で
立ち入り禁止処置も何もせずに
あたかも、その地の遊牧民を使って
被爆人体実験にでもするがごとく
核実験を繰り返し繰り返し行った

素朴な遊牧民の老人は、その閃光を見て
「神を見た!」と大やけどを負いながらも語った

旧ソ連でも、実験場には立ち入り禁止の簡単な柵はしたのに
中国は一切しなかった

これは、民族浄化の一環でもあるがごとき・・・

46回にも及ぶ核実験には、地表核実験も含まれ
深刻な土壌汚染ももたらした

その地に、NHK等マスコミによる
シルクロード浪漫に魅せられ
多くの日本人が、放射能汚染も知らずに旅している

さて、このような人権無視国家が核兵器をもっていることを
どのように受け止めるのか

核兵器削減は、当然のことだろう

だが、廃絶と言うなら
最も性質の悪い国の核兵器こそが問題なのだ

「世界中から核兵器廃絶を!」という世界中には
中国や北朝鮮も含まれるから、それだけでいいのか?

まずは、隣国の最も危険な国の核兵器が無くならない限り
核兵器廃絶は、絵に描いた餅、絵空事だ

だが、どういうわけか
日本での核反対の平和団体は、アメリカには声高に要求するが
隣国の核には、見て見ぬふりだ

これは、正義と平和協議会でも同じだ

アメリカの核は汚くて、中国や北朝鮮の核は綺麗なのか?

核抑止力というのをご存じだろうか?

どこかの脳内お花畑の方々は
「非武装」「無抵抗」を声高に唱えるが
チベットで行われた「解放」という名の侵略を
勉強してほしい

「解放」という名の侵略後
人間らしい生活が保障されたのか?

カトリックの教義においても
正当防衛は認められている

無抵抗でいたいならば、自分だけすればいい

可哀想な物を欲しがる人たちのために
鍵もかけずに居ればよい

きっと泥棒さんは、喜んで入って来てくれるから
場所も明らかにしてあげてほしいものだ

そういうことも出来ずに、鍵をかけて寝るならば
その考えには同調できない多くの国民がいる国に
それは要求できないのを知るべきだ

相手に罪を犯そうとさせないために
鍵はかけるならば
相手に侵略しようとさせないために
軍隊は必要なのだ


綺麗事では済まないのだ!
脳内お花畑では済まないのだ!


>長崎教区の見三明大司教は原爆によって
廃墟となった浦上の地から拾われた「被爆マリア」を携え、
米国市民と国連関係者に核廃絶を訴えました。


これって、カトリック信者や
東方教会(正教)信者にはインパクトがあるだろう

だが、他宗教の人の目にはどう映っただろう?

プロテスタントの人やイスラム教の人には
「偶像崇拝」に映る

特にイスラム教の人からは

「偶像崇拝するから、アッラーの罰が下った」

と、思われかねないのに・・・

他宗教の人々に対する配慮はないようだ
自分たちの価値観の押しつけにしかならない

被災者の生々しい怪我の状態の写真
女性や子供の傷ついた体の写真で充分なはず

被爆マリア像は、その地にあって意味をなすもの
何も持ち歩かなくとも・・・

バチカンのような同じ価値観のところに
持って行くならまだしも
多種多様の宗教の人々のところには
持って行く意味がない

「恥ずべき行い」とも言える長崎大司教の行いを
平和旬間メッセージに取り上げる必要はない
コメント

No title

maggieさん、ご無沙汰です。
お変わりありませんか。
たまになるかもしれませんが今後ともよろしくお願いします。
被爆マリア様の御像をみましたけど痛々しいですね。
ヨーロッパの教会などで綺麗に飾って差し上げるのと逆の感覚ではないでしょうか。
わたしは反戦運動のために見せ歩くのではなく綺麗に修復して差し上げるべきだと思います。

リキオさんへ

被爆の聖母像ですが、持ち歩くことに、長崎の聖職者方の中でも違和感を覚えられた方がいらっしゃったとか・・・当然ですね。

まず、聖母像は、カトリック信者の中にあってこそ意味があるもので、それ以外の方々の中においては、見世物あるいは、不快感すら感じる存在であることをわきまえるべきと思います。

ところで、聖母像修復ですが、ヨーロッパを見ると、古くなった聖母像や傷ついた聖母像は、マント等の衣装を身にまとわれて、大切に扱われています。

ホラーのようなお姿のままというのは、浦上信者方はどのように思われているのでしょうか?

聖母像としての価値よりも、見世物の価値を優先するのでしょうか?

被爆聖母像

最近のテレビで、20歳代で長崎の原爆の被害者女性の
話をききました。彼女は顔にもおおやけどを負われた、いまでも
独身のカトリック信者でした。美しかったころの写真もテレビで
紹介されていて、彼女は被爆聖母像をみて、私と同じだと
なぐさめられたそうです。
 
このご像は浦上の小聖堂にも飾られているようですね。
本物は別に保管されていて、そっくりなレプリカもあるとききましたが
聖堂にあるものが本物かどうか、しりません。

それでこのテレビを見て、被爆される前の美しい聖母像も
ともに展示したり、人々に紹介されたらいいのにと私は思いました。
そのほうが原爆の悲惨さとマリアさまの清らかな美しさが、よりよく
知られるとおもいます。

マリーさんへ

レプリカが小聖堂にあるんだと思います。

レプリカなら、2体作って、片方は修復して元の姿にしてほしいですね。

私も長崎に住んでいたので、被爆者の方々を知っています。

ほとんどの方は整形手術で、あまり目立たなくなってはいますが
観想修道会に入られた方は、被爆傷が生々しく残っていて
まだ、きっと痛んでいらっしゃるんだろうと拝察していました。

皆さん、戦争はイヤ!という気持ちは同じです。

でも、それをどう築くかが大切なんです。

現実を見つめて対応するか
夢物語の完全平和主義を唱えているか
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