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カトリック新聞から

キリストの体を傷つける

「改憲」で講演会
日本キリスト教連合会

日本キリスト教連合会(日キ連)は6月20日、東京・港区の聖アンデレ教会(日本聖公会)で、改憲の問題をテーマに定例講演会を開いた。約40人が参加し、カトリックの松浦悟郎補佐司教(大阪教区)が「『今、選択の時』~改憲の危機にあって~」と題して話をした。

松浦司教は、今の憲法が国民を縛るものではなく、逆に国を縛るものだと繰り返し語り、「憲法を最も守るべき立場」の首相が自ら改憲を唱えていることに疑問を呈した。

続いて憲法9条が世界的にも注目されていることについて事例を挙げて説明。また1947年に当時の文部省が中学生用に発行した『あたらしい憲法のはなし』の復刻版を「分かりやすくて素晴らしい本」と紹介し、参加者に一読を勧めていた。

質疑応答では、教会の中で違う考えの人たちとどう議論していくか、市民団体や諸宗教者などの非キリスト者ネットワークとの協力の在り方はどうあるべきか、などについて、意見が出されていた。

日キ連はカトリック中央協議会、日本聖公会、プロテスタント諸教団の協力で運営されている団体。


http://www.cathoshin.com/2013/06/26/nikkiren/

この記事を読んで疑問に感じたのは

>「教会の中で違う考えの人たちとどう議論していくか」

政治の話をどうして教会でしなければならないのか?
思想信条は必ずしも一致しなくても
キリストにおいて一致するために教会に来ているのに
そこで、政治の話ですか?
憲法の話ですか?
「憲法9条は世界の宝」というのは
カトリックの信仰箇条ですか?
違いますよね

宝と思う人もいれば
有害・不快と思う人がいても不思議ではないし、
自由なのです
要は、平和をどのように求めるかということで
その手段においては各自の判断

教会は一致の場なのに
そこを議論の場に変えても
憲法9条を死守したいというのは
キリスト体を傷つけることのように感じます


上記の記事はカトリック新聞6月30日号
2面の片隅に載せられていましたが
1面にはフランシスコ教皇様の
6月19日水曜日一般謁見の説教が掲載されていて
「信者同士の分裂、争いが
キリストの体を傷つける」
と題して紹介されています

教会は平和を求める心を醸成する場であっても
1つの求め方を押し付ける場ではないはずです

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0031.htm

「教会は援助団体でも文化団体でも政治団体でもありません。むしろそれは、歴史の中を歩み、活動する、生きたからだです。このからだにはイエスという頭があります。イエスがこのからだを導き、養い、支えるのです。わたしが強調したい点はこれです。頭をからだの他の部分から切り離すなら、人格全体は生きていけません。教会の場合もそれと同じです。わたしたちはますます強くイエスと結ばれ続けなければなりません。」

「聖パウロはいいます。人間のからだの部分は、たとえ異なり、数は多くても、一つのからだを形づくります。それと同じように、わたしたちは皆、一つの霊によって、一つのからだとなるために洗礼を受けます(一コリント12・12-13参照)。それゆえ教会にも多様性があります。異なる任務と職務があります。そこには、画一的な平板さではなく、聖霊が与えるたまものの豊かさが存在します。けれども、そこには交わりと一致が存在します。すべての人は互いにかかわり合い、キリストと深く結ばれながら、皆が協力して生きた一つのからだを形づくります。」
(一部を抜粋)

カトリック教会が排斥してきた共産主義
日本共産党は、神を認める共産主義国家を
目指すそうですが、成功例がありません
無神論とは別だと主張することで
カトリック教会も取り込みやすくなったのでしょう

機関誌「あかはた」にはカトリック高位聖職者の記事が
よく登場します

無抵抗・非武装を説く社民党支持者や
中核派系市民団体の活動を支持することも多いです

日本のカトリック教会は、左に舵を取り
宣教対象は社会主義・共産主義者限定ということでしょうか?

つい先日も、保守的な考え方を持つ方が
洗礼を望みつつも、現状に失望して
教会を離れることにしたと耳にしました

私の友人も求道者として
勉強会に数年にわたり参加しながらも
政治的考え方を押し付けてくる信徒の影響で
洗礼を受ける決意ができずにいます

こういうことこそ
「キリストの体を傷つける」
と思います

神が呼ばれた人を
キリスト者が聖職者が追い返しています
コメント

福岡県北九州市の黒崎教会もひどいですね。こちらでは“神が呼ばれた聖職者を共産党員が追い返そうとしています“。
ミラノ宣教会の神父さまのためにお祈りください。

祈りの場

教会を政治集会の場として利用しようとする聖職者は、もはや聖職者ではなく、たちの悪い政治屋です。
信徒間の政治議論や政治主張を教会で行うことが信仰なのでしょうか。政治活動は、教会以外の場でお好きなだけおやりくださいと申し上げたい。
主の御心に適わない者が信仰を求める者に教会の場で、何をしようとするのか。信徒の心と一致を乱す者、悪魔よ退け。

福音ルーテル教会の牧師の方がこんな事を言っていました。

僕の地元に福音ルーテル教団の教会があるのですが
そこの教会の牧師の方が次のような事を述べていました。
「私個人は憲法9条の改正には反対です。しかし
だからと言って特定のイデオロギーを信者の方に
押し付けたり、特定の政党の支持を強要したりはしません。
私の教会の信者の方で個人的に自民党を支持している方も
勿論いますが、その方々にも政党を選ぶ自由があり、それは
尊重すべきだと考えています。そして信仰の場で大切なのは
お互いの考え、立場を超えて共に祈る事だと思います。」
これは何も、そこのルーテル教会の独自の考えではなく
他のプロテスタントやカトリックにも当てはまる
大切な考え方だったはずです。
カトリックの場合、正平協の方々があまりにも一方に偏りすぎる政治活動をしてきたために
その弊害がモロに出てきてしまっているようですね。
その為に保守的な考えの信者の方が教会を去っていったり
また洗礼を受ける事を真剣に考えていた求道者の方が
司祭やシスターの行き過ぎた左翼偏向ぶりを見て
洗礼を受ける事を諦めたりするケースが多く出ています。
もちろんこれはカトリックだけではなくプロテスタントの
多くの教会でも聞かれる話ではありますが・・・・・。
社会的な状況もあって、以前に比べたら教会に駆け込む
人は増えていると聞いています。
(もっとも、その多くは僕と同じ中高年の男性で、若い女性の間でブームなのは仏教や神道だそうですが・・・・・。)
ただ。せっかく増えても牧師や司祭の左翼的な言動や
今や、デタラメであることが明白になっている韓国、中国寄りの歴史観を、さも真実だと語られては
せっかく勇気をもって教会の門を叩いた人々が逃げていくだけですよ。
ちなみに話は変わりますが、9月27日発売の「ニューズウィーク日本版・10月1日号」をぜひ
正平協の方々やプロテスタントの左翼牧師に読んでいただきたいですよ。
記事のタイトルは「反日韓国の妄想」です。
ホント、中、韓、北朝の3ヶ国の言っていることが100%真実なら
ニューズウィークはこんな記事を書きませんよ。

受洗者が少ない

受洗者が少ないことを、神父がなげいていました。
でも、教会の掲示板に、労働組合顔負けの政治主張を掲げていたら、心の平安を求めて訪れた人も、引いてしまいますよね。
労働組合の掲示板のようになってきていますね。

パウロさんへ

反原発や護憲にかける熱心さを、祈りや聖書の研究、そして宣教にかけていたなら、今の衰退は無かったのではと思います。

数の減った聖職者が宣教をなおざりにし、政治活動に打ち込み、信徒に福音宣教を要求する構図って変ですよね。

福音宣教は聖職者・信徒を問わず、信者の務めですが、聖職者の取り組み方は大きく影響します。

チームリオナの僕さんへ

歴史関係について、政治活動をされている聖職者の方々は、あまりにも客観性に欠けますね。

視野が狭い上に、感情的見方をするし・・・
歴史は可哀想ではなく、何をそこから学び取るかなのですが・・・

最近、聖書解釈もおかしくなってきているように感じます。
学生運動家が大量にもぐりこんだプロテスタント教会との交流の結果なのか?「革命家イエス」って耳障りな響きです。

右の手のしていることを

右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
この言葉を実践している神父は、どれほどいるのでしょうか。補佐司教をはじめとして、自己主張が強く、人に自分の主義主張を押し付けるような態度の神父が目立ちます。悲しいことです。

コクスイさんへ

昨日、友人が援助修道会の黒崎修道院に電話を掛けました。
その際、シスターのあまりの不誠実な対応にいたたまれず、途中で電話を替わって話させていただきました。

ブルーニ神父様のごミサの説教を悪意を持って録音をしている長崎教区信徒の存在も確認しました。

シスターは「どちらにもついていません」と中立を強調されましたが、中立というのは大変聞こえがよろしいけども、問題はそういうことではなく、元信徒会長がミサにあずかるつもりもなく、ただミサに集まる方々や神父様を威圧するためと、ミサ後の神父様の勉強会を外から大声で悪口を言って妨害するために教会に来ていることに問題があるわけで、それを放置して、中立を決め込むという行為も問題とお気づきになっておられないようでした。

その点を指摘させていただき、シスターとして主任司祭の司牧に協力もせず、妨害行為をたしなめることなく放置されるのは、修道者としての存在意義に関わる問題ですとお話しました。

少なくとも、日々の生活に疲れて癒しを求めて集まって来る信徒もいる中で、そのようなことは、「キリストの体を傷つける」行為だと指摘させていただきました。

最後まで実に不誠実な対応をされ続けました。

煉獄援助修道会は、煉獄の名を取り払い、当初の煉獄の霊魂のために祈るという大切な務めも捨て去られたのでしょうか?
あれでは、煉獄にも引っかからないのでは?と思います。

友人は援助修道会本部修道院を訪ねて行ったようですが、管区長には面会できず、代わりのシスターが「うちのシスターはそんなことはしていません」と仰るばかりだったそうです。

「そんなことはしていません」は、たしなめることも放棄されたということだったようです。

ちなみに、黒崎修道院のシスターがミサに集まった信徒に、教会の外で集会のチラシを配られていたと、トマスさんのブログに書かれていましたが、このようなことは熱心になさるわけで、なすべきことはなさらず、してはいけないことはなさっておられるという、長きにわたる修道生活の実り薄い方々と情けなく感じました。

No title

どうも最近のカトリックはものすごいことになっていたのですね。
衰退するのは当たり前ですね。
イエズス様まりあ様、今までどうもご苦労様でした。もう今はあなたたちの時代ではありません。ゆっくり骨をお安めくださいね。あとは私たちだけでうまくやりますから。きっとその方がうまくいきますから。声を上げて最近の進歩的教会はそう叫んでいたわけですね。
第2バチカン公会議の精神 NICEの精神とやらで。
どうもおかしいと思ったら。なんでこんなに薄っぺらな典礼、薄っぺらな典礼聖歌になっちゃったんだろうと日ごと悲しく感じていたら。
うーん 歌を忘れたカナリアは 後ろの山に捨てられるほかはありませんね。 その味をなくした塩 はやがて捨て去られるほかありませんね。 悲しいです。やがてカトリック教会消滅の日をまさか近いうちにみるなんてね。 ほんとにびっくりしました。
せめて一生懸命ロザリオを文語 旧文で祈り続けさせていただきます。新しい祈りのロザリオとはその深みがまるで違いますので。

前田達男さんへ

地の塩となるどころか、塩味を失い、存在価値が失われているように感じます。

護憲や秘密情報保護法案がどうのこうのと言う前に、社会に対してしっかりと言うべきことがあると思います。

子宮頸がんの予防注射で多くの被害者が出ました。そのようなリスクの高い、不妊症になるリスクまである注射ではなく、倫理観を高めて子宮頸がん予防をしましょう!と、どうして社会に意見していかないのか、『こうのとりのゆりかご』を『赤ちゃんポスト』などと悪意を込めて呼ぶマスコミや政治家に、小さな命を救うことの必要性を説かないのか・・・

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