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アリンゼ枢機卿様のメッセージの真意

8月のアジア司教連盟会議について調べていた時
鹿児島の郡山司教様のブログが目に入った

『おかしい??? 
アリンゼ枢機卿様が そのようなことを話されるだろうか?』

ニュースソースを必死で探してみた

まず、郡山司教様のブログは以下の通り

  <声はアジアから>
 アジア各国からの代表司教や司祭、修道者、信徒、それにバチカン官僚や地域と各機関からの来賓
 120名が一堂に会して始まったアジア司教協議会総会。テーマは「アジアで聖体を生きる」。
 それに先立って、教皇名代のアリンゼ枢機卿は、聖変化の効力を強調され、同時に福音宣教が即改宗を
 意味しないことを強調された。
 改宗させることは教会法でも禁じられているという

 強制するのは確かに禁じられるべきだと思うが「信者になりませんか」というお勧めはしてもいいのでは?

 アリンゼ枢機卿は言う。
 「聖変化というのは貧しい人々をもっと人間らしい生活へと導くために信者を助けること。」
 ミサを捧げ、ミサに与る人々の責任は大きい?
 さらに「神は少数の人々がこの世の良いものの大部分を手にして楽しみ浪費する一方で、大部分の人々は
 欠乏と悲惨の中に捨て置かれることをお望みにはならない。」

 それはそうだ!と言いながら、豊かさを享受している自分をどうしたものか。

 枢機卿はまた聖体の宣教的側面も強調された。
 「私たちが聖体の秘蹟で祝う愛は私たちが自分のために取っておくべきものではなくて、その本性から
 してすべての人々に分かち合われるべきものである。」で、福音宣教とは「キリスト教信仰を分かち合い、
 イエス・キリストにおける救いのよきおとずれを人々にもたらすことで、人々が自由に、自らの意志で
 この宣言を受け入れることなのです。」

 今年の三月生命山での諸宗教対話の研修会で訪れた禅寺のお坊さんが蘇った。
 「私たちが神に造られたダッテ!?い、一体どんな風に!?」
 私たちは神さまに造られたものです!この宣言は彼にとって驚天動地。
 お互いに自分の信じるところをはっきり伝える。これが対話だと学んだのだが・・・。
 対話って結構アラッポイ?

 富を分かち合うというのは細々とでもできるのだが、信仰を分かち合うというのは・・・。
 
 幸い、教会には、ボクみたいに弱気な者ばかりでなく、元気ハツラツ信仰を宣言する信者が大勢いるので
 まだまだ捨てたものではない!そういって元気印の後ろにソーッと身を隠している自分は無責任?
 ともあれ、毎日捧げるミサが司祭に問いかける意味は大きい、ことは分かった。

次に、ニュースソースの記事を紹介する
稚拙な翻訳をお許しください
 Papal delegate Cardinal Francis Arinze opened an assembly of Asian bishops in Manila, 
 stressing the Eucharist's transforming power, and emphasising evangelisation rather
 than "proselytism, which is forbidden by canon law."
 教皇特使フランシス・アリンゼ枢機卿はマニラでのアジア司教の集会を開きました。
 聖体によって変えられる力を強調し、そして教会法によって禁じられている改宗より福音宣教を
 強調しました。

 It matters "a great deal for the life of the Church in Asia how the ineffable mystery
 of the Holy Eucharist is believed, celebrated and lived in this vast continent in
 which more than 60 percent of humanity lives," the Nigerian cardinal was cited saying
 by a UCA News report.
 「アジアの教会の多くの生命において、聖なる聖体の言い表しがたい神秘が、60パーセント以上の
 人類が生きるこの広大な大陸で、どう信じられ、祝われ、生きているか」は重大と、
 ナイジェリア人の枢機卿は、UCA News報告を引用されました。

 One hundred and twenty bishop delegates and priests, religious and lay partners are
 gathered for the 9th Federation of Asian Bishops' Conferences (FABC) Plenary Assembly,
 on from August 10-16.
 120人の司教代表、聖職者、修道者、協働信徒が、8月10~16日、第9回アジア司教連盟の会議の
 ために集められます。

 In his homily, Cardinal Arinze said the missionary dimension of the Eucharist was in
 this: "the love that we celebrate in the sacrament is not something we can keep for
 ourselves...by its very nature it demands to be shared with all."
 説教において、アリンゼ枢機卿は、聖体の宣教の大きさはこれであると言いました:
 「私たちが秘跡で祝う愛は、私たち自身のためにとっておくことができるものではありません...
 本来、それはすべての人と共有されることを要求します。」

 He stressed a difference between evangelisation and proselytism, saying that
 evangelisation refers to sharing the Christian faith, bringing the Good News of
 salvation in Jesus Christ to people who freely and willingly welcome this
 proclamation.
 彼は、福音宣教は、自由に、そして、喜んでこの宣言を歓迎する人々に、イエズス・キリストの
 救いの良きおとずれをもたらすキリスト教信仰を分かち合うべく、示すことだと 福音宣教と
 改宗の違いを強調しました、

 Proselytism, on the other hand "seeks to influence people to embrace a certain
 religion by means that exploit their weak position or put some other pressure on
 them," he said.
 改宗は他方、「人々に彼らの弱い立場を利用する方法や、または若干の他の圧力を加える手段で、
 特定の宗教を受け入れるように人々に影響を与えようとします」と、言いました。

 Cardinal Arinze said one way the Eucharist transforms lives is by leading the faithful
 to help the poor live a more dignified life.
 アリンゼ枢機卿は、聖体が命を変える1つの方法は、貧しい者がより威厳ある人生を送るのを
 助けるように忠実に導くことにあると言いました。

 "God does not want a few people to grab most of the good things in this world and
 thus become an oasis of enjoyment and overspending, while the majority remain a desert
 of want and misery," he said, quoting "Gaudium et Spes" ("Pastoral Constitution on
 the Church in the Modern World") from the Second Vatican Council.
 「神は、大多数が貧困と惨めさの砂漠のままの間、ごく少数の人がこの世界の大部分のよいことを
 つかんで、このように、楽しみと浪費するオアシスになることを望みません」と、第二バチカン
 公会議から「Gaudium et Spes」(現代世界憲章)を引用して言いました。
司教様のブログの、「改宗させることは教会法でも禁じられているという」
この書き方は、言葉足らずで、誤解を生じるのではないか?

枢機卿様の仰るのは、教会法の禁じる改宗である
教会法には次のように書かれている
  【 教 会 法 】第748条
 ?すべての人は、神及びその教会に関する事柄の真理を探究する義務を有する。かつ、認識した
  真理を受け入れ、保持する神法上の義務及び権利を有する。
 ?なんびとも、他者の良心に反して、カトリック信仰を強制することは許されない。
要するに、改宗は、本人の自由意思による良心上の選択であって
強制されたり、不正に誘導されたり、強制されたりしたものであってはならないということ

そのために、私たちキリスト者は、救いの福音、よきおとずれを宣べ伝える
それが聖体をいただいてキリストの命に生きるように変えられるということだと思う

ここにこだわったのは、理由がある

最近、聖書の会はよく行われるが、それが相応しい実を結ばない

それは、聖書の会が、福音<よきおとずれ>となっていないからだと感じる
改宗は求めないという主張がもっともらしく語られるが
実は、信仰を生きていないから、よきおとずれとして伝わらないのだろう

そりゃ、福音書を自分の頭の中で理解できるだけに縮めてしまっては
主の救い、全知、全能の神への信仰に繋がる筈もない

まぁ、司教様の感想にも閉口してしまうが
これはご謙遜ゆえと信じたい
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