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カール・ラーナー ?


                          聖クララ像(八王子修道院)

この本から読めるもの


この本は、1980年11月10日のグラーツ(オーストリア?)での
カトリック学士会の講演テキストなんだそうだ

あれっ、カトリック大学での教授停止になっていたと思っていたのに・・・

1984年3月30日に帰天
その直前に、八王子のクララ会にこのテキストをプレゼントしたわけ

ということは、この本に書いたことを否定も反省も
その時までしていなかったってこと (嘆)

彼が、このテキストを発送した後、
亡くなるまでの間に 回心されたことと思いたい

だって、それほど、この本は気分の悪い本だから

このテキストなるものを書いた頃には
世界各地の共産主義国家の実態は明らかになっていた

全体主義の恐ろしさもわかっていた

行きつく先も示せないのに、信徒を闘争に駆り立ててどうする!

バチカンから、「解放の神学」を否定されて
頭に血が上ったかのように、ヒエラルキーの否定を繰り返した

多様性を認めてほしいと言いつつ
聖母信心の盛んなラテンアメリカの信仰風土には侮蔑的だった

彼が典礼の多様性を要求するのは
初期の中国での宣教の挫折が 悪夢のように蘇るのであろうか

だが、当時のイエズス会の中国における順応は異常・異様だったし
中国文明の中で、彼らの取った順応性は
とても危険なものだったような気がする

聖霊の導きにより、正されたことを
御摂理と考えず、
他の修道会のせいにしているイエズス会の考え方か

彼らドイツ人は、哲学的にいろいろ考えるのがお好きだ
で、いろんな思想を生みだし、政治、神学に応用する

彼らの思想からなる進歩派的な神学が、教皇庁から否定されたなら
従順の誓願を立てた修道司祭の取るべき道は、何か・・・

自らの誤りを静かに見つめ直し
自分たちの誤りによって、影響を及ぼしたことへの
償いの生活を送るのではないのか

自分たちに誤りが認められないなら、
教皇庁に上申書を出しても、一般を煽ったりなどせず
神の計らいを祈るのではないだろうか

それなのに・・・
彼が尊敬に値する修道者かどうか・・・

そもそも、この本は、大学から
「兄弟愛」というテーマを与えられていたそうだ

それなのに、この本の印象は「愛」ではなかった

伝統・権威への批判であり
闘争への要求であり、恨みつらみであった

まぁ 冷めた(醒めた?)私が読むと こうなるのだが

もし素直な人や免疫力のない人が、
『現代カトリックの権威ある神学者の著作だ~!』と
疑いもせず、言葉通りに受け取ったら・・・
根の張らない浮き草のような「正平協信者」養成につながる

彼の危険性は、
キリスト者として しみじみと読んでいる途中に
ふっと足を引きずりこまれそうな
落とし穴的、誘導するかのような文章が挟まれていること

実に危険極まりない本だ

八王子聖クララ会シスターも 何を思って翻訳したのだろう

肯定的に見るなら
「カール・ラーナーや解放の神学は失敗だったのよ~~
多くの信徒を惑わせるきっかけを作ったけれど 
彼の救霊のために祈ってあげてくださ~~い」

反対なら
「さすが、イエズス会の我が恩師!
今こそ、兄弟愛が問われる時代、信徒の皆さん、奮って闘争を!
私たちは、囲いの中から祈ってま~す」???

この本は、故 里脇枢機卿なら間違いなく出版を許されなかっただろう

小羊を守る善き牧者なら、
こういう本は読ませたくないというのが本当だろうね

フランシスコ会士とクララ会姉妹へ


アシジの聖フランシスコの精神に立ち返りましょう!

自らを貧しき者、小さき者となった師父聖フランシスコは
貧しい人々、小さな人々には愛を届けた
「小さくされた」などといって闘争の心を届けたのではない

イスラムの王にも武器ではなく、
愛の心を武器に、和解のため 対話(説教)に行った

イエズスの十字架の受難と死、その愛を思う時、
涙がこぼれずにはいられなかった聖フランシスコは
何よりもご聖体を大切にしていた

そして聖母マリアを慕い、敬愛していた

教皇に従順で会った

聖フランシスコの精神に倣って生きようとする者を
フランシスコの兄弟姉妹というのではないのか
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