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教会生活

柔軟性があったんだ~

キ リ ス ト の 聖 体 の 祭 日 に

≪K神父様の今日の説教≫(要約)

この一年、大阪教区ではいろんなことが続き、
新型インフルエンザでミサも中止になり、
これで最後だと思っていたら、また問題が起きました。

皆さんもご存じのように、
聖トマス大学が少子化の影響もあって、学生が集まらず、
学生の募集を停止しました。
教区立の唯一の学校で、このままだと4年後には無くなるわけで、
何とかどこかの大学が引き取ってくれないかなと思います。

新型インフルエンザでは、大阪教区では4回文書を出しました。
1回目は事前に予防策で、
2回目はインフルエンザ患者発生に伴って、ミサの中止を、
3回目は、感染に気をつけながら、ミサを再開しようと言うことで、
皆さんはマスクをして、自分が感染するのを避けるためというよりは、
もし自分が罹っていたとき、
他の人に移すのを避けるためにしていたと思います。
今週、4回目の文書で、聖水も元に戻りました。
以前と同じようになりました。
ただ、両形態に関しては、もう少し待ってください。

中には、「私はどうしても口で受けたいのにどうしていけないんだ」と
苦情がかなり寄せられたんです。

これも、どうしてもというわけではないんですよ。
司祭同士では、列の最後尾に並んでもらったら、
他の人に迷惑をかけずに授けられるから、
そうしようということになっていたんです。

でも、私が行ってる教会で、
いつも口で拝領する人が列の真ん中くらいに並んでいて、
『困ったな~』っと思っていたら、前に来たら、
「聖体ではなく祝福をお願いします」と言うんですよ。

私もあまのじゃくでね。
そのまま、祝福してたらいいのかもしれないけど、
それでは、寂しいでしょ。
で、「口に授けます」って言って、授けたんです。

せっかく、こうやって皆が集まって共に祈って、
イエス様が私たちのために死んでくださったことを記念して
「これは私の体である。これを記念として行いなさい」
といってイエス様の体をいただけるのに、
拝領しないのは寂しいでしょ。

聖体拝領するとき
「ありがたい!ありがたい!お恵みをいただける!」
って拝領するんでしょうが、それだけではなく
イエス様からしっかりと覚悟をするように
求められているんだと思います。

それから、この教会では、キリストの聖体の祝日に
本来なら両形態の拝領がされてきたと思うんですが
今週、司教さんの会議があって
そこで、信者がカリスの御血に聖体を浸して拝領するやり方は
禁止されることになると思います。

インフルエンザのフェーズ6になったことですし
両形態は、今日は我慢してもらって、もう少し落ち着いてから、
今度の機会にしたいと思います。

   *******       *******

聖トマス大学
今の信者にとって聖トマスと言えば
復活したイエズスの傷に指で触れないと信じないと言ったトマス

聖トマス・アクイナスを思い浮かべる人って少数派
聖人伝が廃れ、聖パウロ書店でも
昔、あったグロリア文庫は廃版となり
聖書以外の聖人なら、5人ほどくらいしか知らない今の世に

そして、ほとんどが非キリスト者の国で
聖トマス大学のネーミングは無理があった
英知大学で良かったのに

何よりも問題なのは、他文化共生という学部に改編したこと
以前のように、神学とスペイン語学科などの語学に力を入れて
新しい学部なら、時代が求める看護学部をつくれば
シスター高木の死を受け止める心の問題や
松本信愛神父様のパストラル・ケアなどの専門分野も
キリスト教的特色として しっかりと花咲いたはずであった
せっかく、ガラシア病院もあるのに

中国人留学生を大量に受け入れしたのでは
日本人は敬遠するばかりである
自分の首を自分で絞めたとしかいいようがない

私たちは傍観者でいられるが、母校を失う方々は気の毒だ

ところで、信者の心を思いやってくださるK神父様を敬愛している
中には、俗っぽいとか 偏っているとか評価されるが
この偏っているというのは
政治的と言うより、小さな人一人一人にかかわって
いろんな思いが積み重なったものだと思うから

あの俗っぽさ?は、
神学校時代に百瀬神父の教えを受け、傾倒すると
神秘をそこそこにして、単純化しやすいから・・・

しかし、この半年、説教が変わった
信仰に関することを、優しく語りかけ、説いてくださる

服装も、常時タオルを掛けているのから
ローマンカラーに変わられた

もうすぐ、始まる「司祭年」

教区司祭もアルスの聖なる司祭ヨハネ・ヴィアンネのような
霊性と献身が求められている

そのために必要なのは祈り!祈り!

務めの「教会の祈り」だけでなく
み言葉から黙想・念祷・観想へとつながっていただきたい

秘跡を中心にした生活を送っていただきたい

信心でしっかりと肉付けしていただきたい

口先だけで祈るのではなく、
主と語らい、一つに結ばれていただきたい

そのために、私たちは司祭のための祈りを捧げよう!

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