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理性と信仰 ― 教皇一般謁見説教より ―

クレルヴォーの聖ベルナルドを考察
教皇は聖ベルナルドの徹底的にキリストを中心に据えた教えと、その中に顕著な深い観想性・神秘性を指摘。

「ただイエスだけが、口への蜜、耳への賛歌、心の喜び」と表現したベルナルドは、イエス・キリストへの「蜜のごとく流れる」賛美ゆえに、「蜜の流れるごとき博士」と呼ばれたことなどを紹介された。

また、ベルナルドの聖母に対する熱い信心にも教皇は注意を向けられた。

そして、
ベルナルドはキリストの十字架上での犠牲を聖母マリアがいかに密接に体験したかを情熱的に観想し、神の救いの計画におけるマリアの重要な役割を認識しつつ、「マリアを通してイエスに」人々が近づくことができると確信していたと話された。

聖書と教会の教父たちに深く根ざした聖ベルナルドの教えは、神への信仰、祈りと観想、主との親密なつながりなくしては、神の神秘の考察は単なる知的作業となってしまうことを私たちに思い出させると教皇は述べ、>「議論よりも、祈りによって」人は神をよりよく求め、見出すことができると話された。(10月21日水曜日)
http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=328231

12世紀はヨーロッパにおける霊的・文化的・政治的な覚醒の時代でした。この時代に神学は、神学自身の本性と研究方法に対する自覚をさらに深め、新しい問題意識を持ち、13世紀の偉大な神学学派への道を開きました。そこから、聖トマス・アクイナスや、聖ボナベントゥーラの時代に入っていくのです。
この頃に現れた2つの神学の基本的モデルは、当時中世の大学の先駆的役割を担っていた「スコラ(学校)」と「修道院」にそれぞれ結びついていました。

「修道院神学」は、聖書や教父たちの著作の祈りを伴う深い観想から発展し、それらの内的な統一と精神的な意味を強調しながら、キリストの神秘を中心とした神学を構成していきました。

「スコラ神学」は、論理学などを通して信仰の理解を深めることを目指し、それは「神学大全]と呼ばれる大きな作品にまで到達しました。


今日もなお、信仰と理性の調和に対するこの信頼は、私たちの抱いている希望についての説明(1ペトロ3,15)を明らかにすると共に、信仰が理性を自由にすることを示し、人間の精神を神そのものでもある完全な真理の観想へと至るようにしてくれるのです。(10月28日水曜日)
http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=330142

12世紀の神学の2つの主要な流れである修道院神学とスコラ神学を対比されながら、教皇は前者をある意味で「心の神学」、後者を「理性の神学」と呼ぶことができると話された。

教皇は当時この両学派の間に生まれた熱く幅広い議論を象徴するものとして、2人の重要な神学者、クレルヴォーの聖ベルナルドとアベラールの間の論争を取り上げられた。

修道院神学を代表する聖ベルナルドは神学において「信仰」に重きを置き、一方、アベラールは「理性」をもとにそれを理解しようと努めた。

ベルナルドにとって信仰は聖書の証しと教父たちの教えに基づく内的な確信であった。彼にとって神学の唯一の目的は、神との生き生きした親密な経験を養うということであり、神学は神を常により愛するための助けになるものであった。

アベラールはこれに対し、神学への別の捉え方を持っていた。アベラールは、フランスのブルターニュに生まれ、その類まれな知性を学問に生かし、哲学の研究の成果を神学に応用した。知識人・弁論家としての名声高く、その門下には多くの生徒が集まった。宗教的精神に恵まれ、教会との一致を保っていたが、師や他の神学者たちとの衝突を起こすこともしばしばであった。

1140年のサンス公会議で、アベラールの教説のいくつかの誤りを指摘したのはベルナルドであったが、それは哲学の過剰な導入がアベラールの神学の教えを脆弱なものにする危険があったゆえであると教皇は話された。一方で、教皇は後の成熟したスコラ神学の発展に対するアベラールの偉大な貢献にも言及された。

教皇はこの両者の神学的比較に、教会の健全な神学論議の有用性と必要を見出されると共に、教会の権威への謙遜な従順の大切さも指摘。これらの神学研究の、教会の信仰を守り、愛における真理を勝利させるという目的は、今日も変わっていないと話された。(11月4日水曜日)

http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=331945


これを読んで、日本における神学が
スコラ神学に哲学を持ち込み
政治的思想も持ち込み
歪められた現実を感じた

そして、それがイエズス会、フランシスコ会
神言会において大きく影響している
それこそが解放の神学

ここには信仰、祈りが感じられず
目標達成こそが求められ
そのために聖書を偏った読み方で利用し
信仰を利用するというような
本末転倒の考え方を感じ取ってしまう

その代表格が本田神父であり、ホアン・マシア神父

この代表格の二人は共に修道者
しかしそこには、修道院神学は感じられない



コメント

No title

本田師やマシア師に関しては、
昨年イエスの惑星BBSにまとめて書きました。
......いったんは「封印」した私の五つの「保管庫」ですが、
考え直し、また公開することにしました。
興味のある方は、Googleで検索すれば必ず見つかりますので、
お手数ですが、各自でお探しください。

No title

自分の政治志向を正当化するためあえて事実から目をそむけたり、
あえて根拠のない作り話の方に惹かれてしまう人々にとっては、
もしかすると全く価値のないものと映るのでしょうが、
本田師またシナピス派の影響力が依然衰える徴候を見せぬ昨今、
目立たない形ながら、「保管庫」を提示しておきたいと思います。

http://9222.teacup.com/immacolata/bbs/116
(事情により一か月以上も更新はしておりませんが)

保管庫

ペレグリノさん

他の方から、ご要望もありましたので
リンクさせていただきました

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