スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

正義と平和

信仰と民族意識

韓国殉教図


私たちは神の民

でも、私たちが生を受けたこの地に属する者として
民族性もあわせ持っている

これがプラスに働けば、相乗効果として
誇りをもって信仰生活をおくれるだろう

しかし、信仰と民族性がせめぎ合うときがある

かつてナチスはユダヤ人を抹殺しようとした
これは世界的に知られていることだが
本当はユダヤ人だけではなかった

ロマ人(ジプシーと云われる人たち)
スラブ民族のナチスに非協力的と見做された人物や
カトリック司祭、修道者(コルベ神父など)
アーリア人種でも反ナチスの活動をした聖職者
(ドイツの枢機卿、司教、司祭多数)や心身障害者

アーリア人種でも、
優生思想から選別され、抹殺された

コルベ神父の故国ポーランドは複雑だ

スラブ民族で差別対象だが
当時のヨーロッパ思想と同じく
ユダヤ人に対する差別感情は強かった

終戦後、収容所に生き残ったユダヤ人が解放された後も
迫害をし、殺したりもしている

一方で、強制収容所から脱走して来たユダヤ人を
匿ったポーランド人もいる

それと同時に深い悲しみを抱えた国でもある
ナチスによって多くのアーリア人種的特徴(遺伝子)を持つ
金髪、青い目、細い鼻の子どもは幼児期から
親元から強制的に引き離され、
ドイツ人の家庭に里子に出された
そこで、実子同様の扱いを受けた場合もあれば
差別され、働き手として酷使された子も多くいる

戦後、その記録がなくなってしまい
親元に返されなかった子どもが多数いる

戦後長らくポーランドの家庭では
1人分食事を余分に用意した
ドイツから逃げてきた子どもが訪れるかもしれないから

結局、全ての罪をナチスのせいにしたのだが・・・

他の国においても、
ユダヤ人であることを密告した聖職者や修道者もいる

最近、ピオ12世が修道院に
ユダヤ人を匿うように要請をした
直筆の手紙が発見されたという

教皇がナチスのユダヤ人抹殺に加担したという説も
ある意図と偏見によるもののようだ

この件では、和田幹夫神父様の翻訳された文書が
大いに参考になると思う

http://mikio.wada.catholic.ne.jp/WE%20REMEM-P.html
 ユダヤ教徒との宗教的関係のための委員会
「わたしたちは記憶にとどめます」
     ― ショアーを反省して ―



ポーランド人の前教皇様ヨハネ・パウロ2世は
ポーランドの教区長だった頃
まだ、ドイツの教会との和解ができていない時
自ら過去の謝罪をした
これには、自国民から強い反発があった
だが、それは福音に基づいて当然のことと説かれた
本来なら非のある方の西ドイツの司教団は
この謝罪に驚き、一気に和解に至った

洗礼を受ける前に、ヨハネ・パウロ2世の
このことが書かれた本を読み
キリスト教、カトリックの「赦し」の精神こそが
差別を乗り越えられるものと信じ切っていた

真実を見つめることは
非常な苦しみを持つかもしれないが
福音によって、それは乗り越えられるものだと思っていた

イタリアでの体験によって
少し考え方が変わった

福音は、すべてを赦し合い、愛し合うことを呼びかけている
だが結局は、一人ひとりの信仰によるのだと思う

ところで、話は戻るが
台湾人と韓国人に対する
日本人の感覚は微妙に異なる

台湾人は是々非々で、真実を捉えているから
仲良くなれる

韓国人は事実無視の自国的歴史観から
常に攻撃的だから、反発を受ける
彼らが攻撃的に出るたびに
わだかまりが増大していく

友好の為に偽りの歴史には目をつむる?
表面上、仲良くできても、どうなんだろう???
砂上の楼閣のような気がする

真実は真実
信頼という堅い岩の上に友好の建物を築かないと
少しの地震で崩れ落ちる

韓国人の友人もごく普通にたくさんいるし
一人ひとり、大切な存在
でも、歴史は別問題・・・かといって追及もしない

彼らが自らの歴史を見直す時を待っている

これは神様の韓国カトリックへの宿題なのだと思う
コメント

No title

以下、イエスの惑星BBSでも紹介済みですが、参考になれば。
http://www.oct-net.ne.jp/~kusubook/kiji.html

No title

ペレグリノさん、有り難うございます。

以前、イギリス人女性がイスラムに改宗して、アラブに移住していくのを
取り扱った番組を見たことを思い出しました。

彼女は、乱れ切った社会に不信でいっぱいになって、規範を求めたようです。

カトリックの世俗化、プロテスタント化により、その役割も果たせなくなったということでしょう。

先日、友人と話をしていて、聖堂の十字架の話になって、十字架に架けられた痛々しいキリスト像ではなく、最近は復活のキリスト像が多くなっていることについて、「苦しみなんかいらない。喜んでいたらいいんですってことらしいよ」と皮肉たっぷりに話していました。

カトリックも変質して、「地の塩」にはならなくなってきているのかも?

ということは、自分にも甘くていい!
苦しみ、忍耐、犠牲は不要ということらしいです。
コメントフォーム













管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

maggie tonton

Author:maggie tonton
FC2ブログへようこそ!

QRコード
QRコード

Page Top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。